節子、それポリアモリーやない。妻公認の妾や。

おぉ、立花岳志さんが夫視点で、ポリアモリーの記事をアップされました。

 

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夫である立花岳志さんがどのように自分のポリアモリー的思考に気づき、それを妻の大塚あや子さんと合意し、実践に至ったか。わくわくしながら、ブログを開きました。

 

結婚して月日がたつに連れ、直接的な性的な接触の頻度が徐々に減っていった。
仲は良いのだが、僕は常に寂しい、心身共に欲求不満状態に置かれていた。

 

「 僕は常に寂しい、心身共に欲求不満状態に置かれていた。」 

...いやこれは、潜在的ポリアモリーではなく、「奥さんがセックスしてくれないから、よそで恋愛したい」という、既婚者男子あるあるパターンじゃないですか...。

そして立花さんは、「彼女をつくれば」と2年に渡り奥さんから勧められます。
わたし、既婚女友達からよく言われます。「旦那は好きだし家庭も大事だけど、旦那とはセックスしたくないからよそで彼女つくってくれないかなぁ」。

 

そしてそれに連れて、「本当に彼女を作ってみようか」という気持ちが湧いてくるようになった。
そして友人に既婚者の女性を紹介され、何度か会ってみた。
だが、僕は全然楽しめなかった。
最初から強い罪悪感があり、お酒で罪悪感をごまかしても、どうにも楽しくない。
独身の女性にもアプローチはしてみたが、やはり「不倫」というイメージが裏暗くジメジメしていて、先行きもなく、盛り上がれなかった。
僕は思った。
僕がしたいのは「不倫」ではない。性欲の処理を求めているのではなく、もっときちんと愛を育みたい。


まず、「不倫」=「性欲の処理」という考え方は、強烈なモノガミー思考です。

不倫の是非はちょっと置いておいて、周囲の婚外恋愛を見ていると、そもそも性欲処理を求めて不倫するパターンは少数で、「恋がしたい」「好きになってしまった」「妻も愛人も同じように愛してセックスしている」。妻と同等に精神的なつながりを愛人と共有しているパターンも多いです。

英雄色を好むと申しますが、とくに仕事にプライベートにエネルギッシュで生命力に満ち溢れる男性ほど、この傾向は強まります。自分の観測範囲では、経営者に見られる傾向ですが、複数の女性を同時に愛し、恋愛も性も謳歌している方は、多数存在します。

さて。その罪悪感を抱えた立花さんがどのように罪悪感から解放されたのかと興味深く読み進めると、

 

2017年5月から受講がスタートした、あけみちゃんの11期LPL養成講座。
LPL養成講座では、「チャクラ」ごとに講座が進んでいく。
第2講の第1チャクラの講座中に、僕は自分の一番の原点にあるビリーフに到達し、解放することができた。
そのお陰なのか、第3講、第2チャクラの講座の際に、僕はあることを明確に意識して受講することになった。
それは、「自分の中に封印している男性性を解放する」ということだった。

 

ス、スピリチュアルワークショップ!?
スピリチュアルなワークショップでチャクラが解放!? 

これはスピリチュアルを否定しているわけではありません。夫婦間の話ですむことが、善意の第三機関であるスピリチュアルワークショップに頼らなければ自分の罪悪感を払拭できないくらい、そもそも無理してるんじゃないですか。

 

ポリアモリーについては、単なる恋愛、性愛という切り口だけではなく、すごく深い人間的なテーマが含まれていると僕らは思っている。

そして、自らのライフスタイルを提示して生きる仕事をしている僕らは、そのチャレンジ、試行錯誤、そして結果を公開していくことで、新しい生き方、ライフスタイルの可能性の一つを提示できるのではないかと思っている。

 

妻がかまってくれなくて寂しい → 妻に勧められ恋人を作った → 全員合意してる以上は妻も恋人も大切に責任を全うしよう。

それは罪悪感の置き換えですってば! 深い人間的なテーマでもなんでもなく、妻公認の妾ができた、以上。ですってば!

そして、これ。妻も妾も立派に養っていきたい旦那の思考。 

 

妻のあやちゃんと彼女、そして我が家の二匹のネコたちを、全員幸せにしていくことが、僕の役割だと、強く自覚するようになった。

我々夫婦には子供がいないが、子供を持った父親の自覚というのは、このようなものだろうか?

パートナーが増えたということは、そのパートナーのことも幸せにしていきたいし、そのためには、僕自身がさらにステップアップして、よりビジネスを発展させ、人間的にも成長していきたいと思っている。

 

フォロワーやファンが多く立場がある方が、自分の罪悪感に対してポリアモリーという流行りの言葉で大義名分を与え、それを新しい生の性のあり方として喧伝してしまうと、精神を解放したつもりで、逆に自分たちを縛りかねやしませんか?

また「生き方」をテーマにご夫婦で多数セミナーを開催している立ち位置で、フリーセックスを、スピリチュアルで崇高な生き方や、人間としての深いテーマのひとつのように発信し続けると、それは、流行りの「ポリアモリー」という言葉を利用した弱者ビジネスになりかねません。

フォロワーさんが感化されて、本意ではないフリーセックス教団のような流れが生まれてしまったり、自由恋愛主義者が片方へ強要や洗脳するといった、あまり幸せではない絵すらうっすら見えてしまい、危険だなぁ。と思ったのでした。

 

そもそも「平等な愛」をうたう崇高系ポリアモリー方面にはあまりフィットしない、妻はプライマリー、恋人はセカンダリーという、英米ポリアモリーの一部のスタンスを強く感じるので、それを明記せずに「平等に愛するポリアモリー」ってスタンスでいるのに違和感を感じてしまうんですよね...。