ごめん、節子、それもポリアモリーやったわ。でも... 大丈夫なんですかねぇ...

さんざん突っ込んでおいてアレですが、わたくし、ポリアモリーの意味を取り違えておりました。
性の多容性に詳しい友人から連絡があり、
 
「発祥元である英米におけるポリアモリーとは、同時に複数の人を愛する自由恋愛主義的な習慣そのもので、『性的嗜好』をさすひともいれば、『生き方』をさすひともいれば、関係者間でその自由恋愛を合意する『契約そのもの』を指す場合もあり、ポリアモリーなら平等にパートナーを愛する事が必ずしも求められてる物ではない」。
 
というようなこと聞いて、えっと驚いた次第です。
 
「一夫一婦制の婚姻制度をとるキリスト圏においては『夫婦間で自由恋愛に合意しましたね』と契約を結ぶことで、いざ裁判などトラブルがあったときの自己防衛や社会との折り合い付けにもなるんだよ」。
 
目からウロコ!
すでに英米では辞書にも掲載されている周知された言葉、と聞いて、実際、英語のWeb辞書を、確認すると、
 
The practice of engaging in multiple sexual relationships with the consent of all the people involved.
関係するすべての人々の同意を得て複数の性的関係を結ぶ習慣。
 
ほんとだ。ポリアモリーという言葉は、崇高な愛のあり方ではなく、習慣の定義づけ。
そして、日本のウィキぺディアを見ると
 
ポリアモリー(英: polyamory)とは、ノンモノガミー(排他的な一夫一妻制ではない関係)の一種。関係者全員の合意に基づき、多重的な性愛関係やロマンチックな関係を営むライフスタイル、また その関係性のことである
 
多重的な性愛関係やロマンチックな関係を営むライフスタイル!
 
関係者合意に基づき、という前置きがあるものの、日本で再定義された時点で、「ロマンチックなライフスタイル」と概念化してしまったので、立花夫妻がスピリチュアルと結びつけて、人間の成長を問うような崇高なスタイルにしてしまったのは無理もない、と思ったのでした。
 
言葉の定義の問題ですが、生き方そのものを指す「ライフスタイル」と、日常に寄り添う「習慣」は、似て非なるものと考えています。
 
たとえば、朝起きてヤクルトを飲む日常的な習慣 (わたしです。快適な通便のために) を、「わたし毎朝ヤクルトを飲むライフスタイルなんだよね、ドヤァ」とわざわざ人には伝えない、という感じです。
 
よって、発祥元におけるポリアモリーというのは、性愛のスタイル、というより、実社会や法に折り合いのつける習慣の一つとして、ポリガミーな人たちの傍にあるものだと理解しました。
 
つまりユビキタス的に認識せずともそこにあるものなので、崇高なものでもなければ、肩に力を入れて周囲に喧伝するほどでもないんですね。「わたし、ワークショップで開眼しちゃって、毎朝ヤクルト飲むライフスタイルを送ることにしたの!」聞いた方は反応に困るわけです。
 
とはいうものの、関係者全員同意して関係を結んでいる以上、妻公認の妾も、定義上立派なポリアモリー
よく調べもしないで、それはポリアモリーではない、なんて決めつけたのは良くないな、と内省しています。
 
でも... 大丈夫なんですかねぇ...。
大塚あやこさんがスピリチュアルに傾倒していったきっかけと思われるポスト。
 
 
さて、はてブロを立ち上げたものの、ポリアモリーのことしか書いていないポリアモリーブログになっていますが、そもそもポリアモリーにとりたてて関心があったわけでもないので、一体わたしは何をしてるんだろうと、少し気が滅入ってきました。
ポリアモリーに関するエントリーはこれで終了します。 
 
ポリアモリー
おなかいっぱい。